自由主義も個人の自由を神聖なものとして崇拝する宗教、みたいなことがサピエンス全史に書いてあってなるほどなーって思った
さらっとめっちゃ深いことを、良くここまでわかりやすく言語化できるなぁ 昔、どこかの入試問題だったかと思うけど、「『神』は人類で最大の発明品だ」という論文があったっけな 科学が発達してない時代、例えば「なぜ夜が来て暗くなるのか」「なぜ雨が降り雷がなるのか」そういった自然界の謎に対しての不安に打ち勝つために人類は『神』を発明して説明してきたのだ、と それを洗脳と呼ぶことはできると思うけど、洗脳されずに不安を抱え続ける人と洗脳されて不安が消える人はどちらが幸せなのか、これはまた別の問題なんだよね 大事なのは「自分はどんな洗脳をされているか」「誰それはどんな洗脳をされているか」「そしてその違いを尊重して受け入れられるか」だと思う 少なくとも自分は日本語しか話せないから、自分の知ってる日本語で表現できる範囲内での思考しか持ち合わせていないし、知らない概念でも日本語で言語化できない概念は認識できない たしかにこれも広義的には洗脳ですね
「自由とは何か」「それを問えること」
3:54 今アメリカに住んでいて自分もプロテスタントのキリスト教徒なんですけど、この説明とてもしっくり来ます。怖い言い方をすれば、自分の軸を捨てて全部神(聖書)を生き方の軸にするから、自分で答えを探す必要もないし、周りの意見に揺れることもない。軸がブレなくて安定してるけど、融通が効かなくて他の考えを受け入れないから排他的。でも自分はその方が正直楽だと思ってしまう。色々考えてちゃんとした答えが出せるほど賢い人間じゃないから。
資本主義や自由主義なんかは倫理や道徳を蔑ろにしがちになる。何故なら根底に個人主義がある以上、どんなに小難しい思想を並べても、他者へ手を差し伸べる絶対の理由を見つけられないから。 宗教はその点、道徳だったり倫理に無条件の理由をつけれる点に強みがある。問題は神がそれを運用するのではなく、人間が運用する点だよね。
洗脳洗脳、って言うと否定的なイメージが前提されるけど、普通に「教育」と言って良いと思う 修辞でもなんでもなく、「洗脳」として言われることと「教育」とは同じだから
チ。を観て思ったこと いつの時代も、知的好奇心が強く社会常識を鵜呑みにできない人にとっては、生きづらい世の中なんだなあと思った 真理を追求する生き方ってめちゃくちゃ叩かれるし大変なんだけど、誇り高い行為なんだよね 岡田さんが言う文化人類学としては、どの価値観が正しいとか進んでるとか言えないんだろうけど、物事を鵜呑みにせず1度自分の頭で考えてみて、自分や社会を少しでもいい方に向かわせようと足掻くことが「生きる」ってことなのかなと思った
マジで言語化うまいな岡田さん…!
お金があれば幸せみたいな価値観も宗教
ミシェル・フーコーを強くお勧めします。できれば狂気の歴史(かなり分厚い本ですが)をお勧めします。岡田さん同様に宗教に限らず社会全体に対して考察してくれています。
日本人は、イワシの頭も心身からとか宗教の相対化は済んでるとこあるからなぁ もう江戸時代あたりに落語とかで茶化してるからな 宗論どっちが勝っても釈迦の恥
進撃の巨人のケニーの みんな何かかの奴隷だった。ってセリフを思い出した
この投稿者みたいに漫画だけ読んで「昔の文化はこうだったんですね!」みたいに言い出す人が一番怖いわ…
生きる上で指針がないと、行動の判断基準がなく、精神的に不安になる。 なので指針は重要。ただしそれが洗脳と自覚しないと、その指針が仇を成す場合に、回避できない。
チ。は全巻読んで初めて意味が分かる。たまたま話題になってる一部分だけ読んでも それが全てじゃないのよね。
例えば釈迦は若い頃に、人生には誰にも逃れられない苦しみがある事に気付いた そしてそれから逃れる方法を探して出家し悟りを得た そしてそれを弟子に教えた 時は流れて現在 浄土真宗では南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に生まれる事が出来るという教えになっている 釈迦の教えがなぜこうまで変化してしまうのか… それは教祖がスゴくても教祖の死後教団を運営するのは凡人が殆どでありそれが何世代も続いていくと内容が変わってしまうから 変化の大小はあれど、他の宗教も古いものほどそうなっている
「英語や日本語という言語の範囲内でものを考えること自体洗脳」というの、本当そう思います。言語の種類に起因する思考の偏りはもちろんのこと、どの言語も結局虚構でしかないことを考えると、我々がいかに洗脳から免れ得ない存在かということを思い知らされます。
最近世界に対して感じていたストレスを言語化してくれて、すごく救われた気持ちになりました。 考え続けることが大切で、色んな情報を取り入れつつ自分の軸を持てるように頑張りたい
なぜ信じるのかの前に宗教とは何か日本人が知らないからなあ 仏教なら法律、ユダヤ・キリスト教なら律法というように近代の終わりに分離されるまで法律そのものなんだよ 権威付けの物語ばっかり知られてるけど、本来はそういうもの
@蔵人-m2l