@rasklapanje-f3y

"西部戦線異常なし"。つまり、膠着が続く塹壕戦において、若者が週に数千単位で死んだとしても、それが常態化していたから何ら珍しくはなかったということ。

@wonba10

逆にいままでの戦争でこんな感じにならんかったんがなんかすごい

@rti7743

砲弾にドローンが加わって現在も行われているのが怖い所

@ユーゴ-v1m

砲撃で生きるか死ぬかは運次第でしかないから怖すぎるよな。砲兵は戦場の神をは良く言ったものだね。

@伊藤宏憲-y4u

そりゃ、そうだよね。毎日、砲弾が落ちてくるんだもの。

@三つ目犬

終結?

@Pak456

PTSDは一次大戦だけでなく湾岸戦争とかでもあったべ

@ussr-Sovietempire

これ戦場の状況は一次と二次のどっちが比べたらマシだったんだろうか…?

@OtakuJPN-NoHate

シェルショックは、今でいう急性ストレス反応とか、PTSDとかの概念の嚆矢ですね🧐
最初は敢闘精神の欠如とか見做されて、最悪処刑されたりもしたようですが😢

@大阪商科学院

日本軍は戦争神経障害としたが、そのような症状を患う兵士はいないと公言していた……

@まんまるちゃん-p1g

死ぬか病気かどっちが辛いのだろう。考えたくない

@フクたん

そもそも戦争の長期化に伴ってフランスやイギリスでは厭戦気分が高まってドイツと講和を結んで停戦しようとする動きはなかったのかな?

@うまいうなぎ-u1c

ひょぇ~~~~😱PTSD

@ヒロヒロ-g7v

第一次の塹壕は実質的にベトンと機関銃ポスト(トーチカ)で守られた要塞だった。つまり線ではなく点。これを突破出来ても、後方には無傷の予備隊がトラックや自動車を携えて控えており、突破戦で疲弊した敵部隊を蹴散らした。
つまり本当に怖いのは突破後に襲って来る後方の部隊であり、線を突破するのではなく点を出来る限り迂回し浸透すると言う発想につながる。これが浸透戦術であり、防御側が兵員輸送のために使っていた自動車を浸透戦術に加えたのがのちのちの電撃戦。