ジムはその天賦の才とは裏腹に純朴な性格でそれはF1の世界に行っても変わる事が無かったと言います お酒や女性とも無縁でチャップマンに「いつまでも田舎の兄ちゃん」と言わしめました
チャップマン「私が知る限りの最高のドライバーはジムだった アイツは凄いドライバーであると 同時に真の紳士で本当に良いヤツだったんだ」と後年チャップマンが述べていますね 何人ものチャンプを生んだチャップマンロータスでの最高のドライバーという評価はやはり代え難い ものがあると思います
自分はセナプロ時代の人間ですが、1番好きなドライバーはジム・クラークです。過去映像でしか知りませんが、自分には神格化された伝説のドライバーですね。
ジム・クラークは、1965年、F1以外にも多くの世界中のレースに出場し、計63戦中31勝もするという、おそらくレース史上誰も達成したことのない大記録を打ち立てている。もちろん、アイルトン・セナもジム・クラークを尊敬していた。F1レーサー史上で最も速いドライバーは?という議論がよく交わされるが、セナとクラークは決して外すことはできない。
今年の5月15日発行のレーシングオンのドライバーランキングで1位がセナで2位がクラークだった。ジャーナリストや関係者が名を挙げたベスト50人のうちの2位
レース解説の3Dわかりやすいですね。 リクエストでいつか潜水艇タイタン号の3D解説も待ってます
Racing God JIM CLARK - Unmatched Maestro. By far the Greatest Driver Ever - No doubt. He is and was "The Best of the Best" (Fangio, Senna, Prost, Stewart and countless others about Clark). No other driver in history until today was so superior as Clark - No other driver as so much "Grand Slam" - Pole/Win/Fastest Lap/Leading every lap of the race - like him. And all that from just 72 starts... ! This man is the Olymp of driving - the Michelangelo of racing - a dynamic art at the highest level. So smooth, so precise, so fast....simply out of this world. One, who won in Spa by 5 minutes (!) in monsoon rain with only one hand at the wheel (!) because of gearbox trouble...One, who takes back a complete lap (!) in Monza and back into the lead... One, who took pole on the original 22,8 km Nürburgring track by 9 (!) seconds and more....One who won Indy by 2 whole (!) laps... In 1965 he had the most succesful year of any driver in the history of the sport: He won the F1 World Championship, the Tasman Series with F1 cars, the Indy 500, the British and French F2 Championship, the British Touring car Championship, totally over 50 (!) victories in one season !!!! For eternity and by lightyears unmatched in the sport. That`s just some examples of his mesmeric unique genius...
1960年代って日本のモータリゼーションが急速に発達し、レースや外車への憧れも高まっていた頃。昭和43年は公害やベトナム戦争も起こりつつ高度経済成長の真っ只中。「グランプリ」という言葉が夢のようであった時代だな。
ジムが田舎育ちの天才肌で、グラハムは都会育ちの努力家と分かれていた。 あとはロータスにホンダエンジンを提供してジムにドライブするという話もあったがロータスからドタキャンされて白紙になった。
クラークが存命なら、70年代に至るまで同郷の後輩ジャッキー・スチュワートと激しい争いを繰り広げたのでしょうか。 ロータス72を駆るクラークを想像するのも楽しいですね。
クラークはコスワースDFVエンジンの開発にも携わっていたけど、どんな回転域でも速いラップタイムを出してしまうから開発陣はクラークの意見をアテにせずヒルの意見を取り入れていたと知って意外だなと思った覚えがある。かの熊倉重春氏がナチュラル型ドライバーの代表例にクラークを挙げていたが、ナチュラル型故の問題点もあるんだとそのとき知った。
ところがなぜかモナコには縁がなく(2位すらない)、あげくはインディ500のために欠場する始末。F1七不思議のひとつだなあ。
自分はジム・クラークでF1を知った世代だよ。ジム・クラークの凄さは車が良いからではなくて人間がすごかったからだよ。死なずに生きていたら、彼こそがまさにF1のレジェンドだよ。
ジムがスパを嫌った主な理由としては、顔見知りが事故で命を落としている他、風も強く曲がりくねっているのもあり、その危険性がイヤだったらしい。因みに当時のスパは今よりずっと長い。
17:00 8000回転周辺でトラブルが出るとのことで不安な決勝。相方グラハムはトラブルを露呈し早々に消えた一方、ジミーは8000回転周辺を一切使わず、かつ勝ってしまった
実は、ジムのインディ500優勝は、歴史に残る勝利でもある。というのも、ミッドシップ車で初の勝利だった。 余談だが、初参戦した63年はジムも含め僅か3台。翌年には12台に増えジムはPPを獲得。そして優勝した65年には27台にもなっており、長い間FRが主流だったインディに於いてもミッドシップが優勢となっていく。
当時は多分、F1ドライバーになるに、今ほど『非凡な才能が無い限り、金』じゃなかったんだろうなぁ…。 ある日本人ドライバーがテストドライブにようやく漕ぎ着けた(それまでも多額のバックアップや資金、当然履歴も必要だった) 本人は至って冷静で…自信があったんだと思う。 アタックした結果、当然のようにテストドライバーよりも、セカンドドライバーよりも速かった。 『あぁ…何とか腕で買って貰えないかな…』 って自分は祈ってたけど… チームは更に数億持ってこいってさ…。 彼はF1を諦めちゃった。 友人だし、上手いと思ってたし、走って欲しかった。
再現VTRありがとうございます。ただ写真を見ればわかる通り、この年から始まったゴールドリーフカラーが採用されていた。これがF1がスポンサーカラーになった始まりだった。チャップマンはタバコ屋さんとの巨額なスポンサー契約を重視したのだと思う。結果的に天才ドライバーを失う事となった。当時、日本では当然テレビ中継もなく、翌日の新聞の三面記事に小さく報道されただけだった。F1、チャンピオンでも死は免れないものだと知り、命の重さを考えるようになった。
予選から圧倒的に速く決勝レースでは優勝かリタイアかという結果からセナを引き合いに出す人が多いが 速さを感じさせないスムーズな走りやタイヤに優しい走りなど プロストの方がジムに近いドライビングスタイルをしている。
@bibendum2278